九条兼実(1149 – 1207)の日記『玉葉』
治承4年9月 1180年 湛増51歳
3日壬子、(中略)伝え聞いたことには、熊野権別当湛増が謀反を起こし、弟湛覚の城、及び所領の人家数千宇を焼き払い、鹿ヶ瀬以南を奪い取った。行命(※新宮熊野別当家、19代熊野別当行範の長男。行命は平家方の立場を取る)の同意の上ということだ。このことは先月中旬頃のことだという話だ。
この日の日記には、
また為義の息(※源行家)が一両年来熊野辺に住み、さる5月の乱逆(※以仁王の乱)のとき坂東方に赴いた。かの義朝の子(※源頼朝)に加勢し、謀反を計り企むか。まるで将門のようだ。
ということも書かれています。