湛増略年譜


湛増 大治5年(1130年) – 建久9年5月8日(1198年6月14日)

公家の日記などにある出来事の他、物語上の出来事も記載。
年齢は数え。

1130年 1歳
生まれる。

1160年 31歳
平治の乱、熊野詣の途上にあった清盛に兵20騎を奉る。(『平治物語』上「六波羅より紀州へ早馬を立てらるる事」

1172年 43歳
湛増の家と間違って祇陀林寺別当の家を比叡山の僧が破壊するという事件が京で起こる。(『玉葉』承安2年8月13日の条

1174年 45歳
第20代熊野別当範智の下で熊野権別当に就任。

1180年 51歳
以仁王謀反の計画を新宮の源行家の動きから察知、平氏方に味方して田辺・本宮勢1000余人を率いて、源氏方の新宮・那智勢1500余人と合戦し、敗退。(『平家物語』巻第四「源氏揃」
以仁王謀反の情報を平家に伝える。(『平家物語』巻第四「鼬之沙汰」

1184年 55歳
第21代熊野別当に補任される。(宮内庁書陵部蔵本「僧綱補任残欠」)

1185年 56歳
義経の後押しにより平氏追討使に任命され、熊野水軍200余艘、2000余人を率いて源氏方として壇ノ浦の戦いに参加。源氏の勝利に貢献する。(『平家物語』巻第十一「鶏合壇浦合戦」

1186年 57歳
鎌倉幕府の御家人(※ごけにん:鎌倉幕府の将軍直属の家臣)となる。(『吾妻鏡』文治2年6月11日の条

1187年 58歳
法印に叙せられ、改めて正式に熊野別当に補任される。(『玉葉』)

1195年 66歳
源頼朝と京にて対面。(『吾妻鏡』建久6年5月10日の条

1198年 69歳
死去。

第21代熊野別当 湛増:熊野別当代々次第:紀伊続風土記