湛増を召し進ぜよとの宣下


仁和寺の諸記録を抄録した書「仁和寺諸記抄」

治承4年10月  1180年 湛増51歳

10月12日辛卯、熊野の湛増を召される宣旨

 上卿別当左衛門督時忠(※平時忠)によると今月6日に下されたということだ。
今日初めてこれを見る。

熊野山前権別当湛増、去年10月頃に舎弟の法眼湛覚を殺害しようとした件にて、その真偽を決するために湛増の身を召したが、湛増は城郭を構えて参洛の心はなく、少しも朝廷の役所を恐れず、元衙(※?)、ますます狼藉を致す。あるいは権門勢家領を焼き払い、あるいは諸国を行き来する船を掠め取る。罪科の至り、前後に幾重にも重ねる。朝章所指尤可能禁□(※?)。早く熊野山別当法印範智(※第20代熊野別当)以下常住の輩に仰せになって、かの湛増の身を召して進上するようにお命じになられた。

蔵人頭左中弁藤原経房奉